作品名 |
内容 |
あこがれ |
明治38年5月に刊行された処女詩集。
後に妻となる堀合節子との恋愛の時期を反映し、
77篇の作品群は甘美なロマンティシズムに彩られています。
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一握の砂 |
明治43年12月に刊行された551首の処女歌集。
土岐哀果の処女歌集『NAKIWARAI』に文学的刺激を受けた体裁となっています。
原稿料20円は早逝した長男の葬儀費に充てられました。
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悲しき玩具 |
啄木の死後2か月を経た明治45年6月に刊行された第二歌集。
啄木最終期の生活を歌ったものが多く、短歌194首、歌論2篇を収録。
タイトルは「歌は私の悲しい玩具である」という一節からつけられました。
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黄草集 |
明治38年3月~11月に書かれた詩36篇からなる詩稿ノート。
扉は啄木自ら水彩で彩色し、手作りの印も使われています。
第二歌集として刊行しようと編まれたものと思われます。
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呼子と口笛 |
没後の大正2年5月に刊行された『啄木遺稿』に収録。
作品わずか8篇の詩集。「はてしなき議論の後」が有名。
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閑天地 |
明治38年6月7日~7月18日、
新婚の様子などを書いた随筆『閑天地』を岩手日報に21回連載。
啄木が節子と結婚して初めて暮らした家の様子はその中の
「我が四畳半」の中に詳しく紹介されています。
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葬列 |
文芸雑誌「明星」(明治39年12月号)に掲載された小説。
中学時代のよき散策場所だった
天満宮の丘が描かれています。
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小天地 |
明治38年9月に発刊した文芸誌。
文学的自立を目指し、経済的な打開でもあったこの雑誌は、
与謝野鉄幹や正宗白鳥といった第一線の寄稿を得て好評でしたが、
家計の行き詰まりにより創刊号のみで廃刊。
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