文学碑名 | アクセス法 | MAP位置 | |
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夜明げには・・・ | 岩手県交通バス浅岸線 下の橋町下車 |
盛岡市大沢川原 下の橋際 |
MAP右 |
「かなた」と老いし・・・ | でんでんむし号 岩手公園下車 |
盛岡市内丸 盛岡城跡公園芝生広場 |
MAP右 |
あゝマヂエル様・・・ | でんでんむし号 材木町南口下車 |
盛岡市材木町 光原社中庭 |
MAP左 |
血のいろにゆがめる月は・・・ | でんでんむし号 医大前下車 |
盛岡市内丸 岩手医大医学部玄関脇 |
MAP右 |
生徒諸君によせる・・・ | 岩手県交通バス駅上田線 一高前下車 |
盛岡市上田 盛岡一高白亜記念館前 |
MAP左 |
せわしくも花散りはてし・・・ | 岩手県交通バス津志田線 つどいの森下車 |
盛岡市湯沢 都南老人福祉センター内 |
MAP右 |
しろがねの雲ながれ行く・・・ | 岩手県交通バス太田線 簡易保養センター前下車 |
盛岡市猪去 「かんぽの宿盛岡」前 |
MAP左 |
川と銀行木のみどり・・・ | でんでんむし号 内丸下車 |
盛岡市内丸 テレビ岩手裏庭付近 |
MAP右 |
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夜明げには・・・ | ||
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賢治は明治42年4月に盛岡中学校に入学し、その後、わが国初の高等農林学校として
創設された盛岡高等農林学校
で農芸化学を学びました。
平成11年に、賢治が高等農林学校3年の時、弟と下宿していた下の橋際に「ちゃぐちゃぐうまこ」
の歌碑が建立されました。歌は次の歌を加えて4首です。
夜明げには本格的に文学に打ち込み始めたのもこの頃で、13歳から24歳(高農研究生終了) まで過ごした盛岡での約10年間は、その後の賢治の活動の土台となりました。 |
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「かなた」と老いし・・・ | ||
「かなた」と老いしタピングは岩手公園の中津川畔よりに建つ、 この歌碑に詠われる「タピング」一家は、明治40年に盛岡に来て、宣教のかたわら盛岡中学校で英語を教え、 夫人は盛岡幼稚園の創設者となりました。 この歌は賢治の死の1ヵ月前に当たる昭和8年8月22日の日付のある「文語詩稿・百篇」の中のひとつです。 |
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あゝマヂエル様・・・ | ||
石座 星座 音座 絹座 花座 詩座 光原社中庭 |
盛岡駅からほど近い北上川に架る旭橋からは、四季折々の岩手山の山容が望まれます。
この橋を渡って左に曲がると「いーはとーぶアベニュー材木町」です。 この商店街の街路には、賢治とその作品にちなんだ6つのモニュメントが並び、 独特の雰囲気をかもしだしています。 それぞれのモニュメントに想いがこらされ、私たちを賢治の夢の世界に誘います。 街入口付近の、背広姿の若々しい賢治を描いた彫刻「石座」、 夜になると淡い光が点滅する銀河系をイメージした「星座」、 チェロのオブジェから賢治の作曲した『星めぐりの歌』『種山ヶ原』が聴こえてきそうな「音座」、 シルクロードへのはるかな憧れを伝える「絹座」、 賢治の設計した花壇をイメージした「花座」、 そして商店街の北の入口に休憩所をかねて設けられた「詩座」。 どのモニュメントからも、自然の小さな生命を語り、また慈しんだ賢治のメッセージが伝わってきます。 さらに、童話『烏の北斗七星』の一部を刻んだ石柱と、同じく童話『注文の多い料理店』出版の地の碑が、 材木町商店街中ほどの光原社に建っています。 あゝマヂエル様この石柱に刻まれた作品が書かれた大正10年、賢治は突如上京して宗教団体「国柱会」に入りますが、 妹トシの病気のため帰郷します。その年、花巻農学校の教諭となり、童話創作の最も旺盛な時期でした。 |
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血のいろにゆがめる月は・・・ | ||
血のいろにゆがめる月は盛岡市内丸の岩手医科大学医学部玄関脇に建つこの「岩手病院」の文学碑は、 同医大創立50周年を記念して建立されたものです。 賢治は以前から悪かった鼻の手術で、大正3年に岩手病院に入院しました。 その間、進学をめぐる父とのいさかいなど、気持ちは激しく動揺します。 後年、それらの体験をもとに作品化した昭和8年の「文語詩稿」の1篇です。 |
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生徒諸君に寄せる・・・ | ||
生徒諸君に寄せるこの詩碑の建つ盛岡第一高等学校は、かつて賢治が学んだ盛岡中学校です。 生まれ育った旧家の息苦しさをひととき離れての寮生活や、同世代の友人たちとの交友は、 賢治に大きな解放感をもたらしました。在学中は付近の山々を歩き、多くの書物に親しみました。 ちなみに石川啄木は盛岡中学校の10年先輩に当たっています。 |
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せはしくも花散りはてし・・・ | ||
市内の都南老人福祉センターに建つ
せはしくも花散りはてし盛岡をの歌碑は、賢治生誕100年を記念して建立されました。 |
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しろがねの雲ながれ行く・・・ | ||
盛岡簡易保険センター「かんぽの宿盛岡」には
しろがねの雲ながれ行くたそがれをの歌碑が建っています。ここからは賢治が盛岡中学校入学以来、 生涯幾度となく登った岩手山が間近に見え、 童話『グスコーブドリの神話』に登場する火山は、この山から連想されたものです。 |
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川と銀行木のみどり・・・ | ||
明治44年建設の岩手銀行中ノ橋支店
は国の重要文化財で、賢治もこの建物を気に入っていたようです。銀行近くのテレビ岩手裏庭付近には
川と銀行木のみどりの歌碑が建っています。 |