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八百二に絵を教えたのは尋常小学校4年のときに担任となった、
後に萬鐵五郎と交友を結ぶ洋画家、大川英八。
八百二は親戚である大川にその後ずっと絵の手ほどきを受け、
画家の道へ進むきっかけとなっています。
東京美術学校在学中は、
作品を次々に展覧会に出品しては賞をさらう、展覧会荒らしを楽しんでいました。
この頃の絵は赤系統の色調で、萬の影響を思わせる作品も見られます。
同じ頃、展覧会で活躍していた女子画学生、原子はなと知り合い、卒業後結婚。
夫婦で帝展入選を続けて話題となりました。
昭和11年、東京の自宅に夫婦で橋本絵画研究所を開設しますが、時代は戦争へと向かいます。
多くの実力派画家と同様、橋本夫妻も従軍画家として南支、仏印などに派遣されました。 |