文学散歩と雄大な自然をたっぷり満喫しよう
北上川の舟運が盛んだった時代から、このあたりは商人や職人が多く住んでいた石川啄木にとって、渋民村(現在の盛岡市玉山区渋民)は、生涯忘れることのできない心のふるさとだった。玉山を歩けば、啄木の歌心を育んだ自然が、今も豊かな詩情を語りかけてくるようだ。
石川啄木記念館を中心に、幼少時代を過ごした宝徳寺、「やはらかに~」の歌碑が建つ渋民公園、鶴飼橋、愛宕の森などは近接しているので、目の前にそびえる岩手山に導かれながら気軽に文学散歩が楽しめるだろう。
玉山区中央南部から東部一帯に連続するなだらかな高原が、外山早坂高原県立自然公園。スズラン、カタクリ、ツツジなどが季節を追って咲き乱れ、山菜やキノコの宝庫でもある。
森と青い空を映す湖は「日本で最も美しい人造湖」と形容される岩洞湖。湖の北には一大レクリエーション地の家族旅行村があり、大自然とふれあえるエリアになっている。
1.姫神山
玉山のほぼ中央、北上川をはさんで岩手山と向かい合うように見える姫神山は標高1123.8メートル。ゆるやかな三角形に せりあがった優美な姿で、地元の人々は長い間、信仰の山、伝説の山として崇拝してきた。5月には可憐なスズランに彩られ、山菜も豊富。どこか神秘的な響きを持つ名前や姿から、啄木は「名さえやさしき姫神の…」と詠った。 |
2.鶴飼橋
啄木が長詩「鶴飼橋に立ちて」を詠んだ橋。かつては童話にでも出てきそうな、人が通ると揺れる吊り橋だったが、現在は近代的な橋に生まれ変わっている。とうとうと流れる北上川と岩手山がセットになったすがすがしい風景は、啄木が生きていた時代から変わることがない。 |
3.石川啄木記念館
啄木生誕100年を記念し、昭和61年に建設された。モダンな白い建物は、啄木の詩集『呼子と口笛』の中の「家」をイメージしたもの。館内には啄木の直筆ノートや書簡、日記をはじめ生活用具、代用教員時代に使用したオルガン、遺品などおよそ300点を展示。渋民、盛岡、北海道、東京と、放浪の人生をたどりながら、啄木文学の背景を知ることができる。 |
4.旧渋民尋常小学校
明治17年に建てられた渋民尋常高等小学校。啄木は小学校時代にこの校舎で学び、11年を経て代用教員として教壇に立った。現在は記念館の敷地内に移築されている。啄木は日本一の代用教員を目指して教育に情熱を注ぎ、この小学校をモデルに『雲は天才である』の小説を書いた。 |
5.旧斎藤家住宅
明治39年3月から翌年の5月まで、代用教員時代の啄木が一家で下宿した。街道(現在の国道4号)沿いにあった藩政時代の宿場。 |
6.宝徳寺
啄木が幼少時代を過ごしたお寺で、境内には歌に詠まれたヒバの木が茂っている。平成12年の建て替えの際に啄木が使用した部屋が復元された。 |
7.常光寺
明治19年2月20日、啄木はこの寺に生まれ、一(はじめ)と名づけられた。現在は啄木の生まれた部屋が保存され、啄木生誕の碑が建てられている。 |