1.盛岡城跡
三戸(青森県三戸町)に拠点をおいていた南部信直(なんぶのぶなお)は、豊臣秀吉の奥州仕置(おうしゅうしおき)により、1590年(天正18)岩手郡などの領地7郡の領有が承認されました。信直は盛岡城築城に着手し、1597年(慶長2)には鋤初(起工式)をしたと伝えられ、翌年の許可を受けて本格的な築城を開始しました。 |
2.志波城古代公園
歴史上中央政府が築いた日本最北の城は古代の志波城といわれています。盛岡が日本北限の築城の地に選ばれたのは、当時米作の北限が盛岡だと考えられていたからだと思われます。 |
3.盛岡八幡宮
南部氏は、もともと八幡神を氏神と仰ぐ家柄でした。今から約800年ほど昔に南部の藩祖である南部光行公が、居城を三戸から不来方に移す際に、不来方の豪族である日戸氏が代々信仰していた鳩森八幡宮を修復し、この地方の守護神として城内におまつりし、氏神と仰ぎました。 |
住所:盛岡市内丸1
アクセス:盛岡駅前バス乗り場6番線 盛岡バスセンター行 県庁・市役所前下車 またはでんでんむし号 盛岡城跡公園前下車 または盛岡駅から徒歩15分 |
住所:盛岡市上鹿妻五兵衛新田48-1
TEL:019-658-1710 アクセス:盛岡駅前バス乗り場13番線 志波城古代公園前行 志波城古代公園前下車 |
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4.安倍館跡
1051年~1062年の古代末期、東北北部に起こった内乱、前九年の役は、東北が中央支配から自らの独立を主張する時代へと変革した一時代の大きな出来事です。 |
5.石割桜
盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、盛岡のお国自慢をするとき、「石割桜こそ日本一の名桜」などといって、よく取り上げられる珍しい桜です。巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、樹齢が360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育しています。国天然記念物です。 |
6.一ノ倉邸
一ノ倉邸は、明治40年頃盛岡市出身の政治家、阿部浩(貴族院議員、東京府知事)により建設されました。その後、一ノ倉氏に譲渡され、平成4年に盛岡市が取得したもので、今も往時の面影をしのばせてくれます。敷地面積は約2600坪もあり、約145坪の木造平屋建、数奇屋風の建物には、大小14もの和室に加え畳敷きの玄関や廊下等があり、畳数は140畳に及びます。 |
住所:盛岡市安倍館町
アクセス:盛岡駅前バス乗り場9番線 安倍館下車 |
住所:盛岡市内丸9-1
アクセス:盛岡駅前バス乗り場6番線 盛岡バスセンター行 県庁・市役所前下車 またはでんでんむし号 中央通一丁目下車 または盛岡駅から徒歩15分 |
住所:盛岡市安倍館町19-64
TEL:019-646-1817 アクセス:盛岡駅前バス乗り場9番線 安倍館下車 |
7.盛岡城跡公園(岩手公園)
かつて不来方(こずかた)城跡とも呼ばれた盛岡城跡は、今は市民の憩う盛岡城跡公園(岩手公園)になっています。春は桜の名所として、夏は街の中心に緑の木蔭をつくり、秋は見事な紅葉に彩られます。そして冬は墨絵のような雪景色にすっぽりと包まれ、ライトアップされた石垣が幻想的な冬の夜を演出します。 |
8.円光寺
盛岡が生んだ宰相、米内光政の菩提寺であり、お蓮女の伝説を持つ首塚で知られる円光寺は、今から300年ほど前の元禄年間に再建されたものです。入母屋造りの屋根と格子妻飾りが組合わされ、その古い寺院建築様式が日本的な穏やかさを見せています。 |
9.御蔵(盛岡市下町資料館)
御蔵は、江戸時代の後期に建造された土蔵(米蔵)です。米蔵なので、屋根に空気断熱層を設けて床を高くし、防湿換気が配慮されています。御蔵自体が重要な資料であることを念頭に建物内部を極力損なうことのないよう、現在は「盛岡市下町資料館」として、庶民の生活用具や新山舟橋ゆかりの資料を約1,000点展示公開しています。 |
住所:盛岡市内丸1
アクセス:盛岡駅前バス乗り場6番線 盛岡バスセンター行 県庁・市役所前下車 またはでんでんむし号 盛岡城跡公園前下車 または盛岡駅から徒歩15分 |
住所:盛岡市南大通3-11-49
アクセス:盛岡駅前バス乗り場13番線 矢巾営業所行 南大通二丁目下車 徒歩7分 |
住所:盛岡市南大通3丁目12-30
アクセス:盛岡駅前バス乗り場13番線 矢巾営業所行 南大通二丁目下車 徒歩5分 |
10.鬼の手形(三ツ石神社)
名須川町の東顕寺の裏手に、それぞれしめ縄が張られた三個の苔むした大石があり、人の手形がついています。石の高さは約6メートル、回りは約9メートルほどです。この石はいつの頃からか「三ツ石様」と呼ばれ近郊の人々の信仰を集めていました。 |
11.御田屋清水
藩制時代には城下第一の清泉として、公供・大奥御用、御茶道に供されたといわれる名水。番人を常置し、「泉木戸」は常時施錠されており、泉水に雌雄双鶴が放し飼いされていたと伝えられています。御田屋清水の名称は、南部氏の故城である三戸城の本丸下にも所在し、縁によってその名を付けたと考えられています。 |
12.上の橋カキツバタ園 (現在は閉園)
上ノ橋バス停を降りて上の橋を渡り、河原に下りてすぐにカキツバタ園があります。上の橋際のカキツバタ園は、町内の人達が丹精込めて咲かせているもので、見ごろは6月初旬から中旬。川の流れのそばで、みずみずしい花の色が鮮やかに浮かび上がります。古風で品のいい女性を思わせるカキツバタは、盛岡の市の花です。 |
住所:盛岡市名須川町2-1
アクセス:でんでんむし号 本町通一丁目下車 徒歩5分 |
住所:盛岡市大通1丁目
アクセス:でんでんむし号 中央通一丁目下車 徒歩3分 |
住所:盛岡市上ノ橋町
アクセス:でんでんむし号 上の橋下車 徒歩3分 |
13.上の橋擬宝珠
上の橋は、慶長14年(1609)に第27代藩主南部利直(なんぶとしなお)が、盛岡城築城時に中津川に架けました。擬宝珠(ぎぼうしゅ・ぎぼし)を取り付けたのは、1336年(延元元年)後村上天皇より恩賞として京都加茂川にある橋の擬宝珠の写しの使用が許された故事によると伝えられています。 |
14.願教寺
願教寺(がんきょうじ)は盛岡中学時代に宮沢賢治が、仏教の勉強をするために訪れたお寺です。25世島地黙雷(しまじもくらい)は、日本近代仏教の先覚者で、26世島地大等(しまじだいとう)は多数の名著を著述し、学僧として高名でした。 |
15.木津屋本店
この付近は藩政時代の南玄関口として、盛岡の代表的商人が店を構えて活気を呈していました。その当事の面影を残す木津屋本店は、この地域の雰囲気に調和し、昔の商家の姿を今に残しています。1884年(明治17)、河南地区を総なめにした大火の際には6代目の当主が揃えた防火用具一式を使用して火勢を食い止めたといわれます。 |
住所:盛岡市上ノ橋町
アクセス:盛岡駅前バス乗り場11番線 松園ニュータウン行 (本町通・洞清水経由)愛宕町口下車 徒歩2分 またはでんでんむし号 上の橋下車すぐ |
住所:盛岡市北山1-4-5
アクセス:盛岡駅前バス乗り場11番線 松園ニュータウン行(本町通・洞清水経由) またはでんでんむし号 本町通一丁目下車 徒歩15分 |
住所:盛岡市南大通2丁目3-20
アクセス:盛岡駅前バス乗り場13番線 矢巾営業所行 南大通二丁目下車 徒歩2分 |
16.旧石井県令私邸
この建物は、2代目県令(県知事)で、土木行政に通じ実績も多かった石井省一郎(1841~1930)によって1886年(明治19)ごろ完工したといわれています。外国人の設計とされ、レンガ組積造3階建て延べ500㎡。戦後一時駐留軍に接収されましたが、後に石井家に返還され昭和42年に遠山病院の所有となり、最近まで遠山准看護高等専修学校として使用されていました。昭和52年に盛岡市歴史的建造物に指定されました。 |
17.旧第九十銀行(現もりおか啄木・賢治青春館) 明治11年に士族の銀行としてスタートした第九十銀行が、明治43年に建てたものです。市内の銀行店舗としては最も歴史があり、ロマネスク風の趣をかもし出しています。様式は簡略化され、内部は明治末期のデザイン潮流をしのばせます。しゃれたベージュ色のタイル貼りに、花崗岩の加工仕上げと荒くカットした石積みとの組合せが風格ある造りです。盛岡市歴史的建造物に指定されています。 |
18.旧宣教師館
1920年(大正9年)、ジャーマン・リフォームド・チャーチ教団が、下ノ橋教会に派遣した宣教師の居住に充てるために建築したもので、大正時代の純洋館の雰囲気をとどめています。 |
住所:盛岡市清水町
アクセス:盛岡駅前バス乗り場12番線 水道橋行 下の橋町下車 徒歩5分 |
住所:盛岡市中ノ橋1丁目1-25
アクセス:盛岡駅前バス乗り場6番線 盛岡バスセンター行 またはでんでんむし号 盛岡バスセンター下車 |
住所:盛岡市大沢川原3丁目5-26
アクセス:盛岡駅前バス乗り場よりでんでんむし号 開運橋下車 または徒歩10分 |
19.岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館(現岩手銀行赤レンガ館) 旧盛岡銀行である岩手銀行中ノ橋支店は、市街地の中心部に位置し中津川・中の橋と一体となって盛岡の代表的な景観を形成しています。東京駅の設計者である葛西萬司(1863~1942 盛岡市出身)が設計しており、外観が東京駅に似ています。 リンク:岩手銀行赤レンガ館 |
20.旧盛岡高等農林学校 (現 岩手大学農学部付属農業教育資料館) 盛岡高等農林学校は、わが国初の高等農林学校として明治35年に創設されました。学生も全国各地から集まり、優秀な農業学徒を輩出しましたが、中でも大正7年卒業の宮沢賢治は有名です。旧本館は、明治45年に着工、大正元年に完成しました。 リンク:岩手大学ミュージアム |
21.賢治・医大詩碑
1914年(大正3)盛岡中学卒業の年、宮沢賢治はかねてから患っていた鼻炎の手術をうけるために岩手病院(現在の岩手医科大学付属病院)に1か月ほど入院しました。憂うつな入院生活のなか、看護婦に恋心を抱きます。といっても、何かがあったというわけではありません。看護婦が賢治の手首をとって10秒間、脈拍を測る。それだけの関係です。しかし、賢治は真剣でした。 |
住所:盛岡市中ノ橋通1-2-20
アクセス:盛岡駅前バス乗り場6番線 盛岡バスセンター行 またはでんでんむし号 盛岡バスセンター(ななっく前)下車 徒歩1分 |
住所:盛岡市内丸19-1
アクセス:盛岡駅前バス乗り場6番線 盛岡バスセンター行 中央通一丁目下車 徒歩2分 またはでんでんむし号 医大前下車 |
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