盛岡が舞台となった文学作品

宮沢賢治「ポラーノの広場」

透き通った風、不思議な理想郷の物語

『ポラーノの広場』は、盛岡で青春時代をすごした 宮沢賢治の作品。 物語は以前“モリーオ市”の博物局に勤めていたキューストが、 「イーハトーヴォのすきとほった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、 うつくしい森で飾られたモリーオ市」 で過ごした日々を回想するという形式がとられています。 “ポラーノの広場”はモリーオ市の郊外にあると伝えられる野原のまん中の祭りの場所。 「そこへ夜行って歌へば、またそこで風を吸へばもう元気がつく」とか、 オーケストラがあって「誰(たれ)でも上手に歌へるやうになる」と言われています。 ところが、山猫博士というあだ名のデステゥパーゴたちが、 こうした祝祭的な場所を選挙のための酒盛りの場にしてしまいます。 むかしのをポラーノ広場を自分たちの手に取り戻そうとするキューストとその友人たちと、 山猫博士らとの争いを経て、 キューストたちが「むかしのほんたうのポラーノ広場」を自分たちの手でつくろうと誓いあうまでが、 賢治独特の美しい言葉でつづられています。

“イーハトーヴ”は賢治の造語で、命名の由来には諸説あり、 表記も“イーハトーヴォ”“イーハトボ”などいろいろ。 「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本陸中国岩手県である」と賢治は 記しており、実際の岩手の風土と、賢治の想像力が溶け合って生み出された、 不思議な理想郷ともいうべき場所で、賢治童話の主な舞台のひとつとなっています。 イーハトーヴの首都で、一番大きな町がイーハトーヴ市。 “モリーオ市”と呼ばれることもあり、つまり盛岡市がモデルです。 13歳から22歳までを過ごした盛岡での約10年間は、その後の賢治に大きな影響を与えました。 その足跡は市内に建つ文学碑などからもたどることができます。

『ポラーノの広場』宮沢賢治・ちくま文庫「宮沢賢治全集7」