盛岡ゆかりの文学者

啄木・賢治を二大巨星に、多くの文学者を生み出してきた盛岡。
それぞれ作風は違っても、故郷を想う心で結ばれています。

詩・短歌 他

石川啄木・いしかわたくぼく1886-1912

岩手県玉山村生まれ。1902年盛岡中学を自主退学して上京、与謝野鉄幹・晶子夫妻を訪ねる。 病気で帰郷の後、1905年詩集『あこがれ』刊行。 故郷での代用教員、北海道での新聞記者生活のなどを経て、1910年『一握の砂』出版。 1912年肺結核のため東京で永眠。第二歌集『悲しき玩具』は死後出版された。

【関連項目】
 ◆石川啄木作品  ◆石川啄木の文学碑  ◆啄木ゆかりの演劇作品


 ◆啄木節子新婚の家 ◆もりおか啄木・賢治青春館 ◆石川啄木記念館

宮沢賢治・みやざわけんじ1896-1933

花巻市生まれ。盛岡中学、盛岡高等農林学校卒。1922年花巻農学校教諭。
1924年、心象スケッチ『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』刊行。
1926年羅須地人協会設立。農民の生活の向上のために尽くすが、急性肺炎のため37歳で永眠。

【関連項目】
 ◆盛岡が舞台の賢治作品 ◆宮沢賢治の文学碑

金田一京助・きんだいちきょうすけ1882-1971

盛岡生まれ。盛岡中学、東京帝国大学卒。東京帝国大学、早稲田大学で教授、講師を兼任。 1932年学士院恩賜賞受賞。1935年文学博士、1954年文化勲章受賞。 アイヌ語の言語学的研究、国語辞典の編集や教科書編集、また親友石川啄木の研究や歌人・随筆家としても知られる。

村上昭夫・むらかみあきお1927-1968

岩手県大東町生まれ。岩手中学校(現岩手高校)卒。 1950年岩手医大サナトリウム入院。 1954年岩手県詩人クラブ結成会員。 1959年詩誌「La」の会入会、『動物哀歌』として作品発表。 1967年土井晩翠賞、1968年H氏賞受賞。

小説・随筆 他

野村胡堂・のむらこどう1882-1963

岩手県紫波郡大巻村(現紫波町)生まれ。 盛岡中学卒業、東京帝国大学法科に入学、卒業を目前にして父の死亡により退学。 1958年菊池寛賞、1960年紫綬褒章受賞。 1963年私財を投じ「野村学芸財団」を設立。
主な著書に 『銭形平次捕物控(383編)』『池田大助捕物全集(全10巻)』『磯川平助功名噺』 『バッハからシューベルト』『名曲決定版』『楽聖物語』など。

【関連項目】
 ◆紫波町ホームページ(http://www.town.shiwa.iwate.jp/)
※町の概要の観光の中に野村胡堂記念館のページがあります 。

鈴木彦次郎・すずきひこじろう1898-1975

東京生まれ。1924年、川端康成、今東光らと雑誌『文芸時代』を創刊。 1944年盛岡に疎開。 1963年市勢功労者表彰。1970年勲四等瑞宝章受賞。 主な著書に『7月の健康美』『一騎打物語』『大関大の里』『常盤津林中』など。

森荘已池・もりそういち1907-1999

岩手県生まれ。盛岡中学卒、東京外国語大学ロシア語科中退。 昭和18年『蛾と笹舟』で第18回直木賞受賞。 平成6年第4回宮沢賢治賞受賞。 主な著書は『店頭』『蛾と笹舟』ほか、宮沢賢治の研究書多数。

高橋 克彦・たかはしかつひこ1947-

盛岡生まれ。岩手高校、早稲田大学商学部卒。 昭和58年(1983)『写楽殺人事件』(原題『蝋画の獅子』)で第29回江戸川乱歩賞を受賞、文壇デビュー。 昭和61年(1986)『総門谷』で第7回吉川英治文学新人賞、 翌昭和62年(1987)『北斎殺人事件』で第40回推理作家協会賞、 平成4年(1992)『緋い記憶』で第106回直木賞、 平成12年(2000)『火怨』で第34回吉川英治文学賞受賞。
平成5(1993)年放送NHK大河ドラマ『炎立つ』第一部・第二部の原作執筆。 平成13(2001)年放送のNHK大河ドラマ『北条時宗』の原作。
アレン短期大学名誉教授。 日本推理作家協会 日本浮世絵協会 日本文芸家協会 日中文化交流協会 所属。 ミステリー、エッセイ、浮世絵研究等100冊近く著書があり、当代きっての人気作家として活躍中。

中津文彦・なかつふみひこ1941-2012

岩手県一関市生まれ。一関一高、学習院大学卒。 岩手日報社入社後、報道部、東京支社編集部、校閲部等を経て、 昭和57年『黄金の砂(出版時は『黄金流砂』に改題)』で第28回江戸川乱歩賞受賞。 同年末、退社して創作活動に専念。 昭和60年『七人の共犯者』で第12回角川小説賞を受賞。 主な著書に『黄金流砂』『七人の共犯者』『遠野物語殺人紀行』『疑惑の演出者』など。

【注意】 石川啄木の「啄」は本来「」ですが、当サイトでは「啄」と表示していますのでご了承ください。