常設展示室

以前は銀行の「営業室」として利用されておりました。
現在は、啄木と賢治の青春時代、ゆかりの人々などを、当時が偲ばれる写真をふんだんに使ったパネルで紹介しています。二人の初版本や「若き石川啄木像」(舟越保武作)「宮沢賢治像」(高田博厚作)のブロンズ像もご覧下さい。

1965年 盛岡市出身の彫刻家舟越保武氏が、苦心して制作した啄木像。 その分お気に入りで、いつも身近に置いて親しんだ作品でした。平成14年の青春館の開館に合わせ、道子夫人の計らいにより盛岡にやって来たものです。美少年と名高い啄木の顔に、熱き詩人の魂が刻み込まれた、いい表情の啄木像です。

【舟越保武】 大正元年(1912)岩手県一戸町に生まれ、盛岡で育つ。盛岡中学校で松本竣介と同級。東京美術学校彫刻科卒。卒業後、佐藤忠良らと新制作派協会彫刻部創立に参加、 昭和42年より55年まで東京芸術大学教授。 現代日本の具象彫刻の第一人者として数々の賞を受ける。 平成14年(2002)2月5日逝去。

1971年 福井県出身の彫刻家高田博厚氏が、宮沢賢治の弟清六氏の依頼で制作した賢治像。 高田は約30年に及ぶパリ時代に親交のあった、ロマン・ロラン、ルオー、高村光太郎、梅原龍三郎ら内外の著名な芸術家の肖像彫刻を多く制作しています。高田は「彼が持つ東北人の素朴さとその魂を、この賢治像から感じてもらえればよい」と語っています。

【高田博厚】 明治33年(1900)石川県七尾に生まれ、福井で育つ。東京外語学校イタリア語科中退、 高村光太郎との交友から彫刻を始め、国展などに出展、昭和6年(1931)に渡仏。 フランスでは、ロマン・ロラン、マルチネらフランス一級の知性、芸術家との親密な交友は、 創造と思索の原点となっています。。肖像を彫刻する時、高田は表面的な類似に捕らわれず、相手の人格の本質に迫り、その持っている内面の豊かさを作り出しました。 昭和32年(1957)帰国。新制作協会会員、高村光太郎賞選考委員、日本ペンクラブ理事などを歴任。昭和62年(1987)6月17日逝去。