文学碑名 | アクセス法 | MAP位置 | |
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立原道造 | 岩手県交通バス松園山岸線 中央公民館前下車 |
盛岡市愛宕町 愛宕山中腹 |
MAP右 |
村上昭夫 | 岩手県交通バス駅上田線 高松の池口下車 |
盛岡市高松1丁目 盛岡市立図書館玄関脇 |
MAP左 |
山口青邨 | 岩手県交通バス松園山岸線 中央公民館前下車 |
盛岡市愛宕町 盛岡市中央公民館庭園内 |
MAP右 |
新渡戸稲造 | でんでんむし号 岩手公園前下車 |
盛岡市内丸 盛岡城跡公園二の丸 |
MAP右 |
宮野小提灯 | でんでんむし号 岩手公園前下車 |
盛岡市内丸 盛岡城跡公園吹上御門脇 |
MAP右 |
土井晩翠 | でんでんむし号 医大前下車 |
盛岡市内丸 岩手医科大学1号館玄関脇 |
MAP右 |
高橋煙山 | 岩手県交通バス浅岸線 天満宮前下車 |
盛岡市天神町 天満宮境内 |
MAP右 |
高橋青湖 | 岩手県交通バス浅岸線 天満宮前下車 |
盛岡市天神町 天満宮内 |
MAP右 |
小野素郷 | 岩手県交通バス浅岸線 天満宮前下車 |
盛岡市新庄町 天満宮境内 |
MAP右 |
小田島孤舟 | 岩手県交通バス駅上田線 高松の池口下車 |
盛岡市高松1丁目 高松の池畔神庭山道脇 |
MAP左 |
武島繁太郎 | 岩手県交通バス松園山岸線 中央公民館前下車 |
盛岡市愛宕町 愛宕山山頂 |
MAP右 |
原 敬 | 岩手県交通バス本宮線 原敬記念館前下車 |
盛岡市本宮 原敬記念館前庭 |
MAP右 |
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立原道造 | ||
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昭和初期の詩壇にすい星のように登場し、
24歳で帰らぬ人となった四季派の叙情詩人・立原道造(たちはらみちぞう)。
彼は昭和13年9月から10月まで盛岡に滞在し、その間、盛岡での叙景や心情を綴ったのが『盛岡ノート』
です。
光あれとで始まる『アダジオ』もこの作品の中の一つで、愛宕山中腹の松林の中に碑が建っています。 付近は立原が滞在の折に散策した、なだらかで美しい丘陵です。 |
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村上昭夫 | ||
盛岡市立図書館跡玄関脇には、土井晩翠賞と日本現代詩人会H氏賞を受けた、
村上昭夫(むらかみあきお)の詩碑が建っています。
夜を見はっているつながれた犬たちで始まる『私をうらぎるな』は、彼の唯一の詩集『動物哀歌』の中の一つです。 その詩集は今なお、読み継がれる1冊です。 |
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山口青邨 | ||
盛岡市中央公民館には回遊式の美しい庭園があります。
この庭園には高浜虚子に師事し、わが国俳壇の巨匠として活躍した、山口青邨(やまぐちせいそん)の作品、
遠山のの句碑があります。 |
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新渡戸稲造 | ||
市民の憩いの場、盛岡城跡公園に建つ
願わくはわれの碑は、盛岡生まれで、のちに国際連盟事務長をつとめた 新渡戸稲造(にとべいなぞう)のものです。 新渡戸は「英文学を学ぶ目的は」という教授の質問に、「自分は許されるならば、 太平洋の橋となりたいと思う。日本の長所を西欧に紹介し、西欧の長所を日本に紹介する橋渡しの役を務めたい。 だから英語に精通する必要があるのです」と答えたといわれています。 |
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宮野小提灯 | ||
宮野小提灯(みやのこちょうちん)は、戦時中も俳句の灯を絶やさず、
生涯を庶民の俳人として貫き通しました。
盛岡城跡公園内には、
月待つやの碑が建っています。 |
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土井晩翠 | ||
岩手医大1号館前には、詩集『天地有情』で詩壇に不動の地位を築いた土井晩翠(つちいばんすい)の
あゝ生々の徳のあとの碑が建っています。この歌は、医学の心構えの重大さと建学の精神を込めて、 “人類愛の名によりて、世に光明を照らしめよ”とうたったものです。 |
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高橋煙山 | ||
高橋煙山(たかはしえんざん)は矢巾町出身の俳人です。
天満宮付近に、
梅疎なりの碑が建っています。 |
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高橋青湖 | ||
天満宮付近に、俳人高橋青湖(たかはしせいこ)の
岩手颪(おろし)の碑が建っています。 |
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小野素郷 | ||
小野素郷(おのそごう)は、盛岡出身の俳人です。重厚な作風で一家をなし、
その名声は奥州の四天王と称され、全国に鳴り響いたといわれています。
天満宮の境内に、1846年建立の
梅開の句碑があります。 |
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小田島孤舟 | ||
歌人の小田島孤舟(おだしまこしゅう)は、教育家・書道家としても著名で、
岩手の近代文芸復興に寄与しました。また、石川啄木が晩年まで交際し、影響を受けた人物としても知られています。
われひとりよのつねびとのみちこえての碑が、高松の池畔に建っています。 |
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武島繁太郎 | ||
明治・大正・昭和を郷土の歌人として送った武島繁太郎(たけしましげたろう)は、
小学校長や高等女学校長等を歴任した教育者でもありました。また、「綴り方教授の研究」をはじめ、
「萬葉集」や「奥の細道」に関する論考があります。
新雪の南部片富士のの歌碑が、愛宕山山頂に建っています。 |
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原 敬 | ||
日本初の平民宰相となった
原敬(はらけい)は、「一山(いちざん)」の号で、
趣味として俳句を楽しみました。原敬記念館前庭には、
余十六歳にて郷里を出で他郷に在ること五十年の碑が建っています。 |