歴史の風に吹かれながら「心」を感じる寺町通り
盛岡は古さとモダン、田舎風と都会風が不思議に溶け合っている街だ。その中でも、隣り合うようにお寺が軒を連ねている寺町通りは、名前のとおり深い歴史を感じさせる。
この周辺にお寺が集中したのは南部盛岡藩時代のことである。藩ではその権威と城下の繁栄を願って、領内の由ある寺を二つの地区に移した。それが北山寺院群と、南の寺の下寺院群(大慈寺町周辺)で、今でも北山と名須川町周辺には20軒余りのお寺がある。
かつて沿岸と内陸を結ぶ重要な街道だった寺町通りは、新しい道に生まれ変わったが、石畳の道に陰影をつくる大木や寺院の木造建築美が風情ある景観を創出し、「日本の道百選」にも選ばれている。
築地風の塀の向こうには、歴史を伝える物語や、不思議な伝説の世界が広がる。岩手の地名伝説が残る三ツ石神社、五百羅漢で有名な報恩寺など、風景の美しい北山周辺は、若き日の啄木や賢治がしばしば散策したという。小路を曲がると、また別のお寺。一木一草にも悠々たる歴史が刻まれた寺町を歩くと、木立をわたる優しい風に包まれ、心が落ち着いてくる。
1.『小天地』発行所跡
啄木は新婚の家から加賀野に引っ越し、渋民に帰るまでの9ヵ月間暮らした。ここで明治38年(1905)、文芸誌『小天地』を発行。この雑誌には、与謝野鉄幹や金田一京助なども寄稿している。 |
2.光台寺/ムカデ姫の墓
北山の光台寺にある。昔、先祖がむかで退治に使った矢の根を持って南部利直公に嫁いだ於武(おたけ)の方が亡くなると、悪いことが度重なった。人々はいつしかむかでの怨霊のせいだと噂し、於武の方を「むかで姫」、墓地を「ムカデ姫の墓」と呼ぶようになったという。 |
3.龍谷寺/モリオカシダレ
龍谷寺境内にある白色のシダレザクラ(モリオカシダレ)は、大正9年(1920)に国の天然記念物調査委員の三好学博士によって発見されたサクラの新種。幹・葉・花の外形がソメイヨシノに似ているが、枝が垂れていること、成長した葉の裏側や子房、花柱がほとんど無毛であること、花の色が白いことが特徴で、幹から直接花を咲かせる姿などは、ソメイヨシノとは異なる美しさがある。国指定天然記念物。またここは、啄木の伯父葛原対月が住職をしていた寺でもある。 |
4.報恩寺/五百羅漢
報恩寺に安置されている五百羅漢は、享保16年(1731)に京都の仏師9人が4年の歳月をかけて製作したもので、すべて寄せ木造りで漆塗り。五百羅漢の数値にかなうような軀体が現存しているが、一体として同じ姿はない。 |
5.盛岡市中央公民館/御薬園跡
およそ300年前の藩の薬草園「御薬園」跡地に建てられた。紅葉やツツジが植栽された池泉式回遊庭園も素晴らしい。 |
6.寺町通り
南部鉄器の街路灯やケヤキの大木が通りを彩り、石畳風の歩道に寺院の塀が続く。昭和62年(1987)、「日本の道100選」に選定された。 |
拝観時間:9:00~16:00(入場は15:30まで)
定休:なし 入館料:大人(中学生以上)300円、小人100円、団体(40名様以上)200円 TEL:019-651-4415 |
開館:9:00~21:00(日曜日9:00~17:00)
休館:月曜日(祝祭日の場合翌日)、国民の祝日、12/29~1/3、御薬園跡は冬期間(12月~4月中旬)閉園 TEL:019-654-5366 |
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7.三ツ石神社
名須川町の東顕寺の裏に、しめ縄が張られた3個の苔むした巨石がある。いつの頃からか「三ツ石様」と人々の信仰を集めていた。この石は、「悪鬼が二度と悪さをしないという証に手形を押した」という岩手の地名伝説にもなっている。 |
8.大泉寺/おかんの墓
愛する夫のために我が命を犠牲にしたという貞女おかんの墓で知られる大泉寺は、文政年間に再建された。宝形式反りの本堂の屋根が特徴で、宝珠と、流れるような反りの線が美しい。 |
9.旧中村家住宅
中村家は藩政時代「糸冶」の屋号で、糸・絹服の商いを行い、近隣にも知られた老舗だった。現在は中央公民館の敷地内に移築されているが、当時の完成された町家建築の典型的な形態を整えており、昔の商家の面影をしのぶことができる。国の重要文化財指定。 |
TEL:019-654-5366(盛岡市中央公民館)
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10.聖寿寺
南部家の菩提寺であり,盛岡市指定の有形文化財であるマリア観音像が所蔵されている。また,千体地蔵堂(もと五重塔)の中にあるお亀地蔵は,南部家の殿様の側室亀姫の身代わり地蔵と伝えられており,安産の地蔵として知られる。 |
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