文学と彫刻のまち盛岡
文学の街
立原道造
昭和初期の詩壇にすい星のように登場し、24歳で帰らぬ人となった四季派の叙情詩人・立原道造(たちはらみちぞう)。彼は昭和13年9月から10月まで盛岡に滞在し、その間、盛岡での叙景や心情を綴ったのが『盛岡ノート』です。
光あれと
ねがふとき
光はここにあった!・・・
で始まる『アダジオ』もこの作品の中の一つで、愛宕山中腹の松林の中に碑が建っています。 付近は立原が滞在の折に散策した、なだらかで美しい丘陵です。
所在地 :盛岡市愛宕町 愛宕山中腹 アクセス:岩手県交通バス松園山岸線 中央公民館前下車
村上昭夫
盛岡市立図書館跡玄関脇には、土井晩翠賞と日本現代詩人会H氏賞を受けた、村上昭夫(むらかみあきお)の詩碑が建っています。
夜を見はっているつながれた犬たち
私に向かって吠えるな
私が誰なのかを知ったなら
吠えることはできないだろうに・・・・・・
で始まる『私をうらぎるな』は、彼の唯一の詩集『動物哀歌』の中の一つです。その詩集は今なお、読み継がれる1冊です。
所在地 :盛岡市高松1丁目 盛岡市立図書館玄関脇 アクセス:岩手県交通バス駅上田線 高松の池口下車
山口青邨
盛岡市中央公民館には回遊式の美しい庭園があります。
この庭園には高浜虚子に師事し、わが国俳壇の巨匠として活躍した、山口青邨(やまぐちせいそん)の作品、
遠山の
くつがへるさま
郭公なく
の句碑があります。
所在地 :盛岡市愛宕町 盛岡市中央公民館庭園内 アクセス:岩手県交通バス松園山岸線 中央公民館前下車
新渡戸稲造
市民の憩いの場、盛岡城跡公園に建つ
願はくはわれ
太平洋の橋
とならん
の碑は、盛岡生まれで、のちに国際連盟事務長をつとめた 新渡戸稲造(にとべいなぞう)のものです。新渡戸は「英文学を学ぶ目的は」という教授の質問に、「自分は許されるならば、太平洋の橋となりたいと思う。日本の長所を西欧に紹介し、西欧の長所を日本に紹介する橋渡しの役を務めたい。だから英語に精通する必要があるのです」と答えたといわれています。
所在地 :盛岡市内丸 盛岡城跡公園二の丸 アクセス:でんでんむし号 岩手公園前下車
宮野小提灯
宮野小提灯(みやのこちょうちん)は、戦時中も俳句の灯を絶やさず、生涯を庶民の俳人として貫き通しました。盛岡城跡公園内には、
月待つや
独り
古城の松のもと
の碑が建っています。
所在地 :盛岡市内丸 盛岡城跡公園吹上御門脇 アクセス:でんでんむし号 岩手公園前下車
土井晩翠
岩手医大1号館前には、詩集『天地有情』で詩壇に不動の地位を築いた土井晩翠(つちいばんすい)の
あゝ生々の徳のあと
天地の光人界の
喜び仁の術はあり・・・・・・
の碑が建っています。
この歌は、医学の心構えの重大さと建学の精神を込めて、“人類愛の名によりて、世に光明を照らしめよ”とうたったものです。
所在地 :盛岡市内丸 岩手医科大学1号館玄関脇 アクセス:でんでんむし号 医大前下車
高橋煙山
高橋煙山(たかはしえんざん)は矢巾町出身の俳人です。天満宮付近に、
梅疎なり
月照る杜の
杉襖
の碑が建っています。
所在地 :盛岡市新庄町 天満宮境内 アクセス:岩手県交通バス浅岸線 天満宮前下車
高橋青湖
天満宮付近に、俳人高橋青湖(たかはしせいこ)の
岩手颪(おろし)
ごうごうと
枯野傾けり
の碑が建っています。
所在地 :盛岡市新庄町 天満宮内 アクセス:岩手県交通バス浅岸線 天満宮前下車
小野素郷
小野素郷(おのそごう)は、盛岡出身の俳人です。
重厚な作風で一家をなし、その名声は奥州の四天王と称され、全国に鳴り響いたといわれています。
天満宮の境内に、1846年建立の
梅開
柳青めば
夢もなし
の句碑があります。
所在地 :盛岡市新庄町 天満宮境内 アクセス:岩手県交通バス浅岸線 天満宮前下車
小田島孤舟
歌人の小田島孤舟(おだしまこしゅう)は、教育家・書道家としても著名で、 岩手の近代文芸復興に寄与しました。また、石川啄木が晩年まで交際し、影響を受けた人物としても知られています。
その昔
われひとりよのつねびとのみちこえて
しづかにゆかむさびしかれども
の碑が、高松の池畔に建っています。
所在地 :盛岡市高松1丁目 高松の池畔神庭山道脇 アクセス:岩手県交通バス駅上田線 高松の池口下車
武島繁太郎
明治・大正・昭和を郷土の歌人として送った武島繁太郎(たけしましげたろう)は、小学校長や高等女学校長等を歴任した教育者でもありました。また、「綴り方教授の研究」をはじめ、「萬葉集」や「奥の細道」に関する論考があります。
新雪の南部片富士の
崇高さよ
わが佇ちて見る
心孤りに
の歌碑が、愛宕山山頂に建っています。
所在地 :盛岡市愛宕町 愛宕山山頂 アクセス:岩手県交通バス松園山岸線 中央公民館前下車
原 敬
日本初の平民宰相となった 原敬(はらけい)は、「一山(いちざん)」の号で、 趣味として俳句を楽しみました。原敬記念館前庭には、
余十六歳にて郷里を出で他郷に在ること五十年
今は六十六歳の老翁となりぬ
わけ入りし霞の奥も霞かな
の碑が建っています。
所在地 :盛岡市本宮 原敬記念館前庭 アクセス:岩手県交通バス本宮線 原敬記念館前下車